エルガーとウィリアム・モリス

 有志に声をかけて、エルガーの弦楽セレナーデをリモートで演奏する企画を立ち上げ、人集めから動画編集までを行った。またチェロでプレイヤーとしても参加している。およそ1か月をかけたプロジェクトだったが、動画作成の方法についてしばしば尋ねられるので、書き記しておこうと思う。

 まずリモートアンサンブルについて。これは大いに流行しており、リモートアンサンブルを運営するためのセミナーが開講されているほどだという。

 第一に、これは重ね撮り形式を採用している。同時に演奏するのは、2020年現在の通信環境では厳しいものがある。一部にはそのようなサービスもあるのだが、各自にオーディオインターフェースの必要があることなどから、採用にはいたらなかった。今回は、楽曲の都合上、ヴィオラの下パートから録音し、そこにチェロやヴァイオリン、コントラバスを随時追加していった。

 第二に、各自の収録はスマホで行った。PCなどで、すでに先に録音された音源をイヤホンで聴きながら、スマホで動画撮影する、という段取りだ。(じつは私だけはダイナミックマイク2台を使っているが、全体のバランスから言えばスマホでもよかったくらいかもしれない)。じっさいのところ、スマホ録音の音質を超えるためには、それなりのマイクとオーディオインターフェースが必要になるわけだから、安くても10万円前後かかってしまうのではないだろうか。それくらい現今のスマホの録音能力は高い。

 第三に、それらの各自の撮影データは、Dropboxなどでやり取りをした。Facebookには送信できる動画の分数制限があるし、LINEはしばしば音質を自動で低下させるので要注意である。

 第四に、私の手元にあつめた動画データは、AdobePremireで編集を行った。音量バランスやPAN振り、ズレた箇所の修正削除、リバーブとコンプレッサーまで、すべてこのソフトで行っている。リバーブにサイドチェインをかけられたらなおよかったが、さすがに動画編集ソフトのオーディオエフェクトでは不可能だった。また細かい話だが、DAWのマスタートラックにあたるものがAdobePremireでは置けなかったので、すべてをミキシングした動画を作って、それに全体にたいするホール系のリバーブをかけて、再エクスポートということをしている。

 第五に、各奏者の紹介パートのようなシーン割りを行った。じっさい12分割画面を1曲ずっと見させられるのは、たいへん退屈と思われたので、そのような工夫をしたが、どこまでエフェクトを入れるかには美学が伴う。私の場合は、フェードインフェードアウト以外は用いなかったし、フレーズとシーンの切り替えを一致させる方針をとったので、かなり禁欲的な編集方針だったといえよう。


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 さて、ここからは余談である。

 今回の動画の「各奏者の紹介パート」には、それぞれのイメージに合わせた花柄の図を挿入した。これは、装飾的な意味もあり、また企画に参加してくださったかたへの御礼の花束、のような意味合いもこめて、素材をかき集め、選定し、貼り付けた。

 しかし、さらには裏の意図があって、今回は著作権の関係で断念したが、本来であれば、この図像をすべてウィリアム・モリスで統一したかったのだ。

 エルガー(1857年6月2日 - 1934年2月23日)とウィリアム・モリス(1834年3月24日 - 1896年10月3日)は、モリスのほうがやや年長ではあるものの、ほぼ同時代を生きた英国人である。音楽家とモリスの関係でいえば、むしろモリスのアーツ・アンド・クラフツ運動に実際に参加したホルストやヴォーン・ウィリアムズのほうが有名だが(『クラシック・スナイパー4 特集 クラシックと死』)エルガーもモリスの詩から歌詞を取った歌曲「Fight_for_Right」を作るなど、関係がまったくなかったわけでは勿論ない。

 思うにエルガーという作曲家を考えるときに、モリスの装飾性であったり、田園性や中世性・愛の形式などを横においてみることは意義のないことではない。たしかにエルガーは民謡を毛嫌いしたといわれ、その意味ではモリスのアーツ・アンド・クラフツの理念の逆を行くものであるが、旋律の男性的な流線美であったり、緻密なリズム構成などにモリスの精神との相似を感じるのである。

 

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